別所 長治(べっしょ ながはる)|東播磨の最大勢力、別所氏当主
◇ 武将ポイント ◇
足利氏に代わって武家の棟梁になろうとする織田信長に対し、足利義昭は織田討伐を全国の大名に呼びかけた。別所長治は最初は足利義尋を擁する信長に従っていたが、義昭の呼びかけに応じ、東播磨の国衆たちのともに信長に反旗を翻した。東播磨のリーダーとして反織田連合軍を牽引した若き義将。
| 年代 | 年齢 | 出来事 |
| 1558年 | 0歳 | 東播磨守護代 別所氏 第4代当主・別所安治の嫡男として生まれる。 |
| 1570年 | 12歳 | 父・安治の名代として上洛する。当時幕府の重鎮だった織田信長と初対面。 安治が病没し、長治は第5代当主となる。 |
| 1573年 | 15歳 | 京都から幕府が消滅し、長治は織田信長(足利義尋)に恭順する。 |
| 1576年 | 18歳 | 足利義昭は毛利領の鞆を拠点とし、毛利輝元に織田信長の討伐を命じる。 |
| 1578年 | 20歳 | 織田は、同盟を破棄した毛利輝元を討伐するため、羽柴秀吉を西国方面軍司令官として播磨へ送り込んだ。しかし毛利方の調略を受けた長治は、東播磨国衆たちの合意を得たうえで、織田信長に反旗を翻した。[三木城の戦い] |
| 1580年 | 22歳 | 1年10ヶ月におよぶ三木城の籠城戦は、兵糧の尽きた長治の降伏で幕を下ろした。長治をはじめ別所一族10名の死により、城兵と城にいた民衆は助けられた。 |
□ 人物像 □
足利義昭を京都から追放し畿内を牛耳る織田信長は強大だったが、別所長治は武家の棟梁である足利義昭を助けることを選んだ。厳しい戦いになることは分かっていたはずだが、武士としての仁義を貫いた。
△ 関連する城・合戦 △
三木城 鷹尾山城 三木城の戦い

【播磨:三木城】東播磨の守護代にして反織田連合軍を牽引した別所長治の三木城を歩く
戦国前夜、赤松当主の座から陥落しかかった赤松政則を支え、大復活劇を成した別所則治は、赤松家臣筆頭の地位に上り詰めて東播磨8郡の守護代になった。別所則治から別所長治まで5代100年続いた難攻不落の要塞・三木城を歩く。