2021年10月17日(日)雨のち晴れ
目次
1.置塩城
形 態 | 山城址 | 難易度 | ★★★-- |
比 高 | 330m | 整備度 | ☆☆☆☆☆ |
蟲獣類 | - | 見応度 | ☆☆☆☆- |
駐車場 → 登城口 → 主郭部 | |||
高 さ | - / 290m | ||
所要時間 | - / 45分 |
指 定 | 国指定史跡 |
遺 構 | 曲輪、土塁、堀切、石垣、姫路城の“と”の一門が移築された大手門と言われる |
歴 史 | 赤松氏は三管四職のひとつで、3ヶ国(播磨・備前・美作)の守護を務めたが、1441年の嘉吉の乱で没落した。その後、若干12歳で当主を務めた赤松政則(1455年-1496年)により捲土重来を果たした。赤松政則は新たに置塩城を築城すると、赤松氏の本城とした。 |
駐車場 | 宮置緑地 – Google マップ 置塩城登城口前にも駐車場あり |
住 所 | 兵庫県 姫路市 夢前町 宮置 |
トイレ | 櫃蔵神社前 |
1-①駐車場
早朝家を出る時はそこそこ強めの雨が降っていたが、高速道路を走っているうちに雨は上がってきた。中国道の夢前スマートICから目的地である兵庫県姫路市夢前町の宮置緑地まで約10分。天気は晴れ。
登城口前にも駐車場があり、何人も人が集まっていた。山城は登ってから降りるまで誰にも出会わない事もよくあるので、これだけの人を見るのは珍しい。
1-②登城口
堂々たる看板が登城口の両脇に立っている。
「置塩」の読み方だが、戦国時代および歴史研究家は「おじお」、現代の地元民は「おきしお」と呼ぶ。どちらが正しいという話ではないがこれを踏まえ、私は「おきしお」と呼びたい。“地元の通り名こそその本当の名前”というのが私のモットーだ。
山城には付きものの獣害防護柵。普段は鍵が掛かっていて、「置塩城跡を継承する会」にて管理しているのだそうだ。
1-③登城道
三丁までは雨水で足場が悪いので注意との事。急な傾斜こそ山城という感じがする。
20分弱歩いてようやく半分の9丁。3丁の標識が出るのが思いの外早かったから、あと7丁なら楽勝かと思ったが、全部で18丁だった。合ではないから全部で10とは限らない。
山の尾根と雲のコントラストがすがすがしい。
1日でいくつもお城を回っていくのが“ナオケンの城旅”なので、体力のある朝一番に登るのが置塩城で良かったと思いつつ、本丸を目指す。
1-④主郭部
山の尾根に沿って、大小様々な曲輪が連なっている。ざっと見て40~50はあるだろうか? 5代100年続いた名門・赤松氏の本城だけあって大きい。
置塩山は、急峻な山肌とは打って変わって山頂付近はなだらかな地勢となっている。播磨・美作・備前3ヶ国の太守となり赤松家を再興した赤松政則は、19歳の時(文明元年-1469年)に姫路城から置塩城へ本城を移したのだが、このような大規模な城を築き易い山だったことがその理由だろう。
左へ行くと腰曲輪の大石垣がある。右を上ると二の丸群があり、本丸郡に続いている。御城印を目指して本丸へ急ぐ。
二の丸下の石垣。
二の丸下の帯曲輪。
程なく本丸に到達し、置塩城跡を継承する会の人々に御城印(無料)を、ナオと私で1枚ずついただいた。日付もその場で書いてもらった。
本丸から南を見る(姫路港)
本丸から北を見る。
2.播磨 山崎城
形 態 | 平城址 | 難易度 | ----- |
比 高 | - | 整備度 | ☆☆☆-- |
蟲獣類 | - | 見応度 | ☆☆--- |
指 定 | 宍粟市指定有形文化財 |
遺 構 | 曲輪、堀、城門 |
歴 史 | 豊臣秀吉の一門衆・木下勝俊が天正15年(1587年)に築城。その後、池田氏や本多氏が入城した。 |
駐車場 | 山崎文化会館 – Google マップ |
住 所 | 兵庫県 宍粟市 山崎町 鹿沢88-1 |
トイレ | 山崎城址のある本多公園内 |
2-①宍佐和城
置塩城址から車で30~40分。宍粟市にある播磨山崎城址の喰違虎口。
大手門。
この城の本当の名前は宍佐和城という。山崎は地名で、地名が城の名として残る事はよくあるみたいだ。
※餃子屋 福籠
山崎城址を見学した後は、予定していた近くの中華料理屋「餃子屋福籠」へ。
餃子屋というからにはまずは餃子だろうと食べてみた。餃子県として名高い栃木県の宇都宮でタクシー運転手さんに「結局、餃子の王将が一番おいしいですよ」と言われて以来餃子の王将が日本一だと信じていたのだが、その餃子の概念がゆらぐくらい美味しかった。
それからお目当てのジビエ料理3皿をナオとシェアし、いただいた。どの料理もとても美味しかった。
3.篠の丸城
形 態 | 山城址 | 難易度 | ★---- |
比 高 | 220m | 整備度 | ☆☆☆-- |
蟲獣類 | スズメ蜂 | 見応度 | ☆☆☆-- |
駐車場 → 登城口 → 主郭部 | |||
高 さ | 10m- / 150m | ||
所要時間 | 2分 / 15分 |
指 定 | 西播磨の山城11(現在は13) |
遺 構 | 曲輪、土塁、畝状竪堀 |
歴 史 | 播磨守護代・宇野政頼の支城。天正8年(1580年)羽柴秀吉に攻め落とされた後、黒田官兵衛が入城した。 |
駐車場 | 最上山公園 もみじ山山頂駐車場 – Google マップ(4~5台) |
住 所 | 兵庫県 宍粟市 山崎町門前 |
トイレ | 駐車場のすぐ近くにあり |
3-①駐車場
車のナビで最上山公園を入力すると弁天池近くのこの駐車場に来るが、登城口最寄りの駐車場は、地図でここから左上(北北東)にある研修センター近くの「P」。その北にある鳥居が登城口である。
研修センター近くの駐車場に停め、登城口を目指す。
3-②登城口
登城口。2014年のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の放送により豊臣秀吉の重臣・黒田官兵衛への関心が高まった際、この篠の丸城の調査が行われた。その時、官兵衛が入城した「山崎の城」が、播磨山崎城(宍佐和城)のことではなく、篠の丸城であることが分かったという。
3-③本丸
本丸の虎口。登城口から約15分で到着。
広い本丸。さすが、赤松一族にして赤松の№2・宇野氏の城。
本丸の周囲を土塁と空堀が囲っている。
3-④二の丸
二の丸の先に畝状竪堀群があったのだが、倒木が多く、ごちゃごちゃしていて分かりにくかった。
腰曲輪から見た宍粟の町。
4.長水城
形 態 | 山城址 | 難易度 | ★★★-- |
比 高 | 450m | 整備度 | ☆☆☆-- |
蟲獣類 | - | 見応度 | ☆☆☆☆- |
駐車場 → 登城口 → 主郭部 | |||
高 さ | - / 230m | ||
所要時間 | - / 40分 |
指 定 | 西播磨の山城11(現在は13) |
遺 構 | 曲輪、土塁、高石垣 |
歴 史 | 赤松氏の庶流で播磨守護代・宇野政頼の本城。 |
駐車場 | 播磨・長水城跡 – Google マップ 林道の突き当たりの駐車スペース(2~3台) |
住 所 | 兵庫県 宍粟市 山崎町 五十波 |
トイレ | 最寄りのコンビニ |
4-①駐車場&登城口
ルート29五十波交差点(T字路)を西へ約800m進むと、左手に「長水山登山口」の矢印看板がある。そこを左折し、直進+道なりに進むと林道に入る。ひたすら進んだ突き当たりに、駐車スペースがある。
篠の丸城址駐車場から約25分。林道突き当たりの駐車スペースに車を停め、長水城址を目指す。
駐車スペースのすぐ左に登城口がある。
4-②登城道
4-③主郭部
登ってきた時の印象は、とにかく石垣が多い。比高450mの山城で、これほど大量の石垣を積み上げているのは珍しいのではなかろうか。しかも本丸跡地にお寺が建っており、住職が住んでいるようだ。他の山城で、本丸に建つ神社や祠を見かけることはよくあるが、人は住んでいない。
本丸には、信徳寺というお寺と一緒に墓地もあった。
本丸から二の丸へ移動。
篠の丸城址の二倍の高さ、長水城址の二の丸からみる宍粟の町。周りの山々を見下ろしている。
宇野氏は約200年の間、この地を統治していた。戦国末期、東の織田と西の毛利という2大勢力に挟まれた際、三木城の別所氏と同じく毛利に属したため、織田家臣・羽柴秀吉によって滅ぼされた。
望遠レンズで見ると海も見える。地理的に、姫路港の網干地区かな?
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