【近江:湖北の城】湖北の至宝ともいうべき史跡を巡る

弥高寺跡から琵琶湖を望む 畿内近国
弥高寺跡から琵琶湖を望む
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2021年11月7日(日)晴れ時々曇り

1.弥高寺跡

形 態山城址難易度★★★★-
比 高480m整備度☆☆☆--
蟲獣類見応度☆☆☆--
駐車場 → 登城口 → 主郭部
高 さ100m  /  290m
所要時間20分  /  50分
指 定国指定史跡
遺 構曲輪、土塁、堀、石垣
歴 史 伊吹山の尾根にある山岳寺院跡。戦国時代には、北近江の守護・佐々木京極氏が城郭化し、上平寺城の支城として使用した。
駐車場悉地院 – Google マップ「弥高寺跡/伊吹登山臨時駐車場」あり。(数台分)
住 所滋賀県 米原市 上野1
トイレ最寄りのコンビニ

1-①駐車場~

車のナビに「米原市 上野1」と入れると、弥高護国寺悉地院しっちいんに来る。そこの駐車場は悉地院訪問者用なので、少し手前の右脇にある登山者用の臨時駐車場に停めた。

「駐車の際はお声掛け下さい」と看板に書いてあったので、朝早くて少し気が引けたがインタホンを鳴らし、悉地院の方に停めさせていただいた旨を伝えた。

一本道をひたすら進む。

途中、近江鉱業という会社の敷地内に入っていくかの様な道になるが、そのまま真っ直ぐ進むのが正解。(↑撮り忘れたので帰路で撮った写真)

初めての分かれ道。ここでも真っ直ぐ進む。

ヘアピンカーブを道なりに右に進むと、ようやく登城口が見える。

1-②登城口~

ここが登城口。少し手前の左のほうにも道らしきものがあるが、そっちへ行くと迷子確定なので注意。チェーンを横に張って立入禁止の様に見えるが、赤い紐をくくりつけているのが正規ルートの道しるべとなる。

足下の落ち葉や小枝にさえ気を付ければ、平らで緩やかな道なので歩きやすい。

道中、左脇になにやら看板が置かれており、その手前に道がある。そっちのほうの木に赤い紐がくくりつけてあったので左へ進んだのだが、倒木のオンパレードで、天然のアスレチック。この分かれは、そのまま進むのが正解だった。左ルートは距離的にはショートカットだが、倒木を超えるのに時間が掛かる。危険度が増す分、損しかないと思う。

少し開けたところで行き止まりになっていた。左に割れ落ちた看板がある。

矢印看板が無残な姿に。こっちが主郭部か。

1-③主郭部

矢印看板の指し示す弥高尾根道を10分ほど登ると、大門跡が出現。

基本情報の欄に、駐車場→登城口:20分、登城口→主郭部:50分と書いたが、実際は少し道に迷ったのと息子のユウがぐずって休憩が多かった事で、5割増しほどプラスで時間が掛かった。所要時間はナオとケンの体力が基準なので適正な時間に修正した。

標高715mから琵琶湖を望む。湖面の右のほうに竹生島が見える。

一眼レフに気を良くし、琵琶湖を撮るユウ。

500~600年も前に作られた城郭の凹凸が今もこうして残り、同じ場所に立って過ぎ去りし時代を想像するのが、城址巡りの醍醐味の一つだと思う。

2.下坂氏館跡

形 態城郭館跡難易度★★---
比 高整備度☆☆☆☆☆
蟲獣類見応度☆☆☆☆-
指 定国指定史跡
遺 構曲輪、二重土塁、堀、虎口
歴 史 北近江の国衆・下坂氏の城郭館。佐々木京極氏に仕え、のちに台頭してきた浅井氏に仕え、浅井氏滅亡後は、織田氏の誘いを断って帰農した。江戸期は彦根城の井伊氏と良好な関係だったという。
駐車場下坂氏館跡 – Google マップ
住 所滋賀県 長浜市 下坂中町177-6
トイレ

下坂氏は、約700年前からこの地を治めていたとの事だ。そんな時代から続く遺構が街中に残っているとは。

下坂氏の家紋、丸に隅立て四つ目ゆいは、宇多源氏を祖とする佐々木一族の証。

主郭部の虎口。

主郭部。奥に土塁が見える。

堀(水路)を挟んで左右に土塁がある。主郭部を二重に囲う構造になっている。現存する土塁と堀は1~2mほどだが、年月と共に凹凸は緩やかになっているので、当時は人が超えられないほどの凹凸だったとの事だ。

外の遺構と下坂氏菩提寺の不断光院は、ボランティアガイドの方々がいろいろと教えてくれた。他では聞けないような話がたくさんあり、とても有意義な時間となった。

3.虎御前山城址

形 態山城址難易度★----
比 高110m整備度☆☆---
蟲獣類見応度☆☆---
駐車場 → 登城口 → 主郭部
高 さ60m  /  20m
所要時間10分  /  10分
指 定
遺 構曲輪、竪堀
歴 史 浅井氏の小谷城を攻略する為の付城として、織田信長が築いた。
駐車場虎御前山 – Google マップ 展望台の先に駐車スペースあり。(2~3台分)
住 所滋賀県 長浜市 中野町
トイレ最寄りのコンビニ

弥高寺跡で少し道に迷ったからか、ユウのぐずりで休憩が多かったからか、下坂氏館跡が望外に見応えがありボランティアガイドさんの話に聞き入っていたからか、お昼ご飯を予定していたピザ屋が満席で急遽入った回転寿司屋も満席で待ち時間が長かったからか、たぶんその全てが原因だと思うが、午後1時に来る予定にしていた虎御前山城址に来た時、すでに午後3時を回っていた。

虎御前山はクジラのような形をしており、最も高い位置(山の中央部)に織田信長の陣営があり、その前後を家臣団の陣が固める格好になっている。興味深いのはその配置。浅井攻めに参加していない佐久間信盛や塙直政を除く主力メンバーが勢揃いしているのだが、前方(小谷城方面)から順に、柴田勝家、木下秀吉、織田本陣、堀秀政、滝川一益、丹羽長秀、蜂屋頼隆となっている。戦上手な柴田と秀吉が前線で、織田の後方は家臣団の中の序列になっているみたいだ。

虎御前山城の本丸とも言うべき織田信長の陣地跡。

こっちに小谷山がある、と思って見たところに、木。

小谷城址が見えない。。。

<to be continued>

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