【三河:挙母(ころも)の城】戦国期の城を忠実に再建した足助城を始め、三河松平氏ゆかりの城々を巡る

足助城 東海
足助城
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1.三河 飯盛城

形 態山城址難易度★★---
比 高130m整備度☆☆☆☆-
蟲獣類見応度☆☆☆☆-
駐車場 → 登城口 → 主郭部
高 さ-  /  130m
所要時間-  /  20分
指 定愛知県指定史跡
遺 構曲輪、土塁、堀
歴 史 三河の国衆・足助鈴木氏の城
駐車場足助西町 第2駐車場 – Google マップ
住 所愛知県 豊田市 足助町飯盛26
トイレ駐車場にあり
訪問日2022年10月16日(日)晴れ

1-①駐車場

足助西町第二駐車場に車を停めた。

1-②登城口~

登城口

足を助けるで“足助あすけ”だが、文字通り足腰の健康にご利益のある神様がいるようだ。

猪よけの柵。

畝状竪堀??

腰曲輪??

所々に巨石がある。

1-③主郭部

広い曲輪に出た。長方形の大きな曲輪だ。縄張り図はなく名称が分からないので、西の丸としておく。

a) 本丸西虎口

本丸へ上るルートがあるのでそのまま本丸へ。

本丸西虎口

本丸

b) 本丸北虎口

先ほどの西の丸に、本丸へ上るルートの左に帯曲輪があったので、一旦戻りそっちへ行ってみる。

帯曲輪の北側は切岸になっている。

帯曲輪を進む。

帯曲輪から見上げた本丸の切岸

本丸北虎口

本丸

c) 本丸東虎口

東にも虎口がある。

東虎口から下りてみる。

ここにも曲輪がある。西の丸ほど大きくはない。東の丸とする。

東の丸に、先ほどの帯曲輪へ通じるルートがある。本丸-東の丸-西の丸の3つの曲輪が帯曲輪で連絡されている。用途としては、兵と物資の移動や、攻めて来た敵を3つの曲輪が連携して挟み撃ちにしたりなどが考えられる。南北朝以前の古城は山の尾根を平削し一直線に結んだ曲輪が多く、それだと常に敵と1対1で戦うことになるが、戦国時代の城はこのように多方面攻撃を可能にすることで、敵1対味方2~3で戦える。畝状竪堀や切岸なども、いかにも戦国時代の山城という雰囲気だ。この三河飯盛城は、全ての山城ファンにお勧めしたい。

2.足助城

形 態山城址難易度-----
比 高20m整備度☆☆☆☆☆
蟲獣類マムシ見応度☆☆☆☆☆
指 定愛知県指定史跡
遺 構曲輪、[復元]高櫓、物見櫓、厨、柵
歴 史 三河の国衆・足助鈴木氏の城
駐車場城公園足助城 – Google マップ
住 所愛知県 豊田市 足助町 須沢
トイレあり
訪問日2022年10月16日(日)晴れ

三河飯盛城から5~10分ほどで足助あすけ城に到着。

足助あすけ城は、戦国時代当時の城をかなり本気に復元している。柵や櫓をここまでリアルに復元した城はあまり例がないだろう。最初は飯盛城に復元しようと考えたが、飯盛城は愛知県指定史跡だったため叶わず、ここ真弓山城に復元することに決まったという。昭和38年(1963年)から構想を練り、平成3~4年(1991~1992年)に足助城は建てられた。

門を入って少し歩くと、南の丸がお目見え。戦国の雰囲気を醸し出している。順路に沿って左の道へ行く。

南の丸腰曲輪

井戸跡

井戸跡から上を見上げる。

2-①西の丸

先に左の西の丸腰曲輪を見に行く。

西の丸のさく。城は「しろ」と発音するが、古代は「」と発音した。そして「」は「」とも書いた。つまりさくしろの原点と言える。

西の丸腰曲輪1

その下にある西の丸腰曲輪2

西の丸腰曲輪1から見る西の丸

西の丸へ。

西の丸

西の丸から見る西の丸腰曲輪1

西物見台は現在改修中。

柵の横木は2本あるが、その間に火縄銃を差し込んで使用していたという。狭間さまの原点だ。

南の丸へ向かう。

2-②南の丸

南の丸くりやになっている。厨とは厨房ちゅうぼうのこと。英語ではキッチン。

跳ね上げ門。2本のつっかえ棒を外せば、一瞬で門を閉じることが出来る。

かまど小屋

この建屋が。左の小高い曲輪には南物見台が建っている。

誰かいる。

槍兵だ。

かかとがないのが「草履ぞうり」、かかとがあるのが「草鞋わらじ」。現代では「サンダル」と「靴」だ。

くりやはキッチンだが、草履ぞうり草鞋わらじを編んだり寝泊まりもしていたという。

南物見台へ向かう。

南物見台

南の丸のくりやとかまど小屋の屋根が見える。

本丸へ向かう。

2-③本丸

本丸に建つ長屋(左)と高櫓(右)。

南から来たが、門は南へ向かって入る。

さっきいた南物見台。

杮葺こけらぶきと呼ばれる屋根。

改修中の西物見台の屋根が見える。

2-④北腰曲輪

北腰曲輪

北腰曲輪へ向かう。

北腰曲輪から見る本丸。

3.松平郷

形 態山城址難易度★★---
比 高64m整備度☆☆☆☆-
蟲獣類見応度☆☆☆--
駐車場 → 登城口 → 主郭部
高 さ-   /  64m
所要時間3分  /  10分
指 定国指定史跡
遺 構曲輪、土塁、堀
歴 史 松平氏初代・松平親氏ちかうじが築いたと言われる。松平家は武士ではなかったが、足利将軍家の陪臣となることで武士の地位を得、三河を統治していった。
駐車場[東照宮]松平郷 第1駐車場 – Google マップ
[城址]松平城址見学者用駐車場 – Google マップ
住 所[東照宮]愛知県 豊田市 松平町赤原
[城址]愛知県 豊田市 松平町廣見
トイレ駐車場にあり
訪問日2022年10月16日(日)晴れ

3-①松平東照宮

a) 駐車場

足助城から35分ほどで、松平郷まつだいらごうに到着。松平郷は松平氏発祥の地で、松平宗家は9代・家康の時に徳川へ姓を改めた。

b) 昼食「天下茶屋」

まずは腹ごしらえ。近くの「天下茶屋」で昼ご飯にする。

とろろそば定食。(私)

ざるそば定食。(ナオ)

和風パフェ。(ナオと私)

c) 松平東照宮

松平東照宮。松平氏館跡とも言う。

松平氏はのルーツは諸説あるが、武士ではなく商売などで財を築いた国民だという説が有力とされている。松平家3代目当主・松平信光は、足利家の重臣・伊勢貞親の家臣となっているので、その頃には武士だった。

松平東照宮の拝殿

有料だったが、拝殿の中に入れた。天井画がすごい。全部で108枚あるという。

産湯の井戸。天文11年(1543年)に岡崎城で徳川家康(松平竹千代)が生まれた時、この井戸の水を竹筒に入れ、早馬で届けたという。

3-②松平城

a) 駐車場

松平郷第1駐車場から車で1分。国道301号線沿いの駐車場は、松平城址見学者が利用可能な駐車場となっている。トイレの裏の道を歩いて登城口を目指す。

b) 登城口

左は本丸、右は四の丸。右へ行く。

c) 四の丸

四の丸

四の丸の先端に櫓台跡がある。

櫓台跡

三の丸へ。

d) 三の丸

三の丸

e) 二の丸

二の丸。三の丸も二の丸も、平削した尾根に沿って連絡した曲輪だ。

この上が本丸。

f) 本丸

本丸

4.大給城

形 態山城址難易度★----
比 高130m整備度☆☆☆☆-
蟲獣類スズメ蜂見応度☆☆☆☆-
駐車場 → 登城口 → 主郭部
高 さ-   /  30m
所要時間3分  /  10分
指 定国指定史跡
遺 構曲輪、土塁、石塁、堀切、櫓台
歴 史 三河・松平氏の分家、大給松平氏の城。
駐車場大給城駐車場 – Google マップ
住 所愛知県 豊田市 大内町
トイレ最寄りのコンビニ
訪問日2022年10月16日(日)晴れ

4-①駐車場

松平城から約15分。国道301号線から林道へ400~500ⅿ入ったところに、大給おぎゅう城跡駐車場がある。

4-②登城口

林道を3分ほど歩くと、右手に登城口がある。

登城口

4-③松平乗元の墓

道が左右に分かれている。先に松平乗元の墓を見に行く⇒。

松平家の家紋、三葉葵みつばあおい。松平宗家ももちろんこの家紋で、松平宗家第9代当主・松平家康は、姓を徳川と変えた後も、この家紋を使い続けた。家康は最初は松平元信といい、その後、松平元康 → 松平家康 → 徳川家康と、3度改名している。

分家の大給おぎゅう松平家・松平乗元のりもとの墓。乗元は松平宗家第4代当主・松平親忠ちかただの次男で、宗家は兄の長親ながちかが継ぎ、乗元は大給松平家の祖となった。松平の分家は、主なもので14家あるという。松平長親の孫の孫が徳川家康。

宗家と分家が力を合わせ一枚岩となっている一族がいれば、互いの利権を奪いあい争う一族もいる。前者は繁栄し後者は没落する場合がほとんどだと思うが、徳川・松平家は前者となったため生き残った。

4-④帯曲輪

帯曲輪へ続く虎口

虎口を形成する土塁の上にがあったようだ。

帯曲輪

道が二又に分かれている。左へ行けば城主屋敷跡に出る。大給城は右を上る。

4-⑤二の丸

二の丸の虎口

虎口左の石垣。この写真だと看板は見えないが、上は櫓台になっている。

虎口右の石垣。こちらも上は櫓台になっている。

二の丸

二の丸の東側に張り巡らせた土塁

土塁の高さがいまいち分かりにくいので、ナオに立ってもらった。158cmのナオがほぼ隠れるくらいの高さだ。

本丸へ向かう。

二の丸の北側には、水の手曲輪がある。

二の丸の南側は、巨石を利用した本丸の切岸

4-⑥本丸

本丸の虎口

虎口の先に、巨大な石塁がある。

本丸(本丸東曲輪)。

本丸は石塁により、東西に分けられている。

本丸西曲輪。

本丸西曲輪から見た石塁。

本丸西曲輪の西の端。

西の端にある物見岩

<END>

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