2021年12月12日(日)晴れのち曇りのち晴れ[1/2]
1.長藪城
形 態 | 山城址 | 難易度 | ★★--- |
比 高 | 140m | 整備度 | ☆☆☆-- |
蟲獣類 | 猪 | 見応度 | ☆☆☆-- |
駐車場 → 登城口 → 主郭部 | |||
高 さ | 10m / 110m | ||
所要時間 | 15分 / 30分 |
指 定 | - |
遺 構 | 曲輪、土塁、堀切、切岸、土橋 |
歴 史 | 河内と紀伊に1万石を領した紀伊北部の国衆・牲川義則-義次-義清の城。河内紀伊の守護・畠山氏に仕えた。 |
駐車場 | タイムズのB 橋本モータープール駐車場 – Google マップ |
住 所 | 和歌山県 橋本市 城山台 |
トイレ | 最寄りのコンビニ |
1-①登城口
1800世帯の戸建団地「城山台」の2丁目にあるタイムズのBが、最寄りの駐車場となる。城山台は傾斜地となっており、登城口の目標となる3丁目の給水塔までは上りとなる。当時はこの辺一体も山城の一部だったのかもしれない。城山台にコンビニは無く、トイレは事前に済ませておかねばならないので注意が必要だ。給水塔手前に、車1台だけなら駐車可能なスペースがある。
給水塔の奥が「東の城」の登城口となる。長藪城は和歌山県北部・橋本市にある山城で、山の尾根を利用した広大な城域を持っており、東の城・西の城・出城の3つの曲輪群からなっている。登城口もそれぞれに3ヶ所ある様だが、本丸となる「東の城」側から登ることにした。
1-②東の城
山の尾根を利用した動線。長藪城の縄張りはコの字型をしており、「西の城」の主郭部と「東の城」の主郭部(本丸)が、コの字の角の位置に来る。なので登城口から本丸までは、ひたすら真っ直ぐ進む。
色付きのリボンが正規ルートの目印。山城共通の暗黙のルールになっている。倒木や足場の悪いエリアにリボンがあると心強い。長藪城は分岐の少ない山城なのであまり関係はないが。
「東の城」の三の丸(?)から二の丸(?)へ続く土橋。
イノシシ捕獲用のワナあり!!
二の丸(?)と本丸を分断する堀切。
コの字の角まで来た。すぐ奥に本丸がある。
「東の城」の本丸。標高347.6m。「西の城」の主郭部は標高347.1mなので、ここが長藪城の最高地点となる。
1-③西の城
続いて「西の城」へ向かう。
赤と青2種類のリボン。何か意味があるのかな?
倒木が行く手を阻む。
倒木を回避して先へ進む。
土橋。北側は切り立った崖になっており、北からの憂いを断っている。
「東の城」と「西の城」の連絡路に、新胡麻生池へのルートがあった。「西の城」への登城口になると思われる。
「西の城」のすぐ手前にある堀切。
「西の城」の主郭部。
本丸の後方(北側)に土塁があり、その先はやはり切り立った崖になっていた。
「東の城」より「西の城」のほうが広く感じる。前者は当主を守る最後の砦で、後者は多くの戦闘員を収容可能な基地、といったところか。
「西の城」から南へ延びる尾根の先に「出城」がある。
この道の先に「出城」があるのだが、帰路時間を考慮すると予定をだいぶオーバーしてしまうので、ここで引き返す事にした。
2.九度山・真田ミュージアム
基本情報
戦国時代末期に生きた真田三代(昌幸・幸村・大助)の物語を、長く後世へと語り継ぐことを目的とした施設。《パンフレットより引用》
2-①駐車場
長藪城から30分弱、県道13号線沿いの九度山町営駐車場。目的地である九度山・真田ミュージアム、真田庵、真田古墳は、それぞれ歩いて2~3分の距離にある。
2-②九度山・真田ミュージアム
九度山・真田ミュージアム。真田親子が過ごした屋敷をイメージしているような外観だ。
エントランスに入ると、真田3代がお出迎え。
館内は撮影禁止だったが、真田関連資料、外観が造り込まれたシアタールーム、からくり仕掛けの部屋、射的コーナーなど、小規模ながら楽しめる仕掛けが盛り沢山だった。これで@500円は安い。
2-③真田庵
真田庵。真田親子が蟄居していた屋敷跡に建てられたお寺。
真田庵の中にある真田昌幸の墓。昌幸はこの地で生涯を終えた。
ここは、真田屋敷跡として和歌山県指定文化財になっている。
2-④真田古墳
真田古墳。真田幸村の抜け穴伝説がいくつも伝承されている場所。大阪冬の陣へ参加するため、徳川の監視の目をかいくぐろうとして抜け穴を使ったというコンセプトは共通なのだが、真田屋敷からここに通じているという話や、この穴から紀ノ川へ出られるというもの、さらにはこの穴から直接大阪城まで行ったという話まであるとの事。江戸時代の書物にそれらが記され、令和になった今でも人々の関心を呼んでいる。
3.猿岡城
形 態 | 山城址 | 難易度 | ----- |
比 高 | 54m | 整備度 | (公園) |
蟲獣類 | - | 見応度 | ☆---- |
駐車場 → 登城口 → 主郭部 | |||
高 さ | - / 30m | ||
所要時間 | - / 3分 |
指 定 | - |
遺 構 | 曲輪 |
歴 史 | 紀伊北部において、根来寺と並んで勢力を誇っていた粉河寺が、防衛の為に築いた城。豊臣秀吉の紀州征伐後、藤堂高虎が入城し改修した。 |
駐車場 | 粉河寺駐車場 – Google マップ(3ヶ所合計:100台) |
住 所 | 和歌山県 紀の川市 粉河2787 |
トイレ | 粉河寺本堂の奥 または 粉河寺手前のお土産物屋さんにて拝借。(秋葉山公園内にトイレは無し) |
九度山町営駐車場から20分強で到着。猿岡城址のある秋葉山公園には専用駐車場は無いため、隣接する粉河寺の有料駐車場を使用する。駐車場は3ヶ所あるが、料金は一律500円。赤い橋を渡ってすぐ左のPの場所が1つ目。
粉河寺-大門の裏手にあるのが2つ目。
大門の先にあるお土産物屋さんの前を過ぎてすぐ右の橋を渡り、左側の駐車場が3つ目。
3つ目の駐車場に面した道をそのまま進んで行くと、秋葉山公園へ通じる遊歩道となる。
写真中央より上の、空が見える所が秋葉山公園、つまり猿岡城址の曲輪である。その下の暗い部分は土壁で、いつからこの地形になっているのかは分からないが、当時からあったとすれば、切岸だったと考えられる。
右手にある急勾配を登っていく。
坂を登りきると、秋葉山公園に出る。猿岡城の曲輪がどんな形をしていたのかが分かるものは何も無い。
しかし遺構は何もないが、堂々たる石碑が猿岡城であった歴史をここに残している。
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