2021年11月27日(土)曇り 時々晴れ 時々雨
1.伊予松山城
指 定 | 国指定史跡、国の重要文化財、日本100名城 |
遺 構 | 大天守、櫓6棟、門7棟、塀7棟が現存。小天守や櫓等 再建もあり。 |
歴 史 | 賤ヶ岳七本槍の加藤嘉明の城。慶長7年(1602年)に築城を開始し、25年かけて完成させた。 |
駐車場 | 松山城 – Google マップ 松山城ロープウェイのりば付近に多数あり。 |
住 所 | 愛媛県 松山市 喜与町 |
トイレ | 城内にあり |
午前10時。近くのコインパーキングに車を停め、松山城ロープウェイのりばへ。
松山城は、ロープウェイは午前8時半、天守は午前9時には営業開始なのだが、瀬戸大橋から松山までの高速道路で長区間通行止めとなる大事故渋滞が発生したため、大幅に時間をロスしてしまった。そもそも最初の目的地は宇和島城だったので、かなり手前での途中下車となった。
ロープウェイのりばと言いながらリフトもあり、待ち時間がないのでリフトに乗る。
山の上に松山城の大天守が見えた。全国に松山城という名の城は少なくとも10基はあるが、「備中松山城」や「宇陀松山城」など、区別する為の地名等を頭に付けて呼ぶことが多い。単に「松山城」と言えばこの城を指す。
ロープウェイのりばから少し歩き、本丸の入り口に差し掛かる。写真は、筒井門(右)と、戸無門(左)と、太鼓櫓(左上奥)。
この中では、戸無門(左)が国の重要文化財となっている。言われればちょっと他より古そうな気がするが、見た目ではほとんど分からない。
3つの門をくぐり、本丸に入る。左端の乾櫓(重文)付近にも登城ルートがある。
松山城の「松」。日本人にとって「松」が特別なのは、松は一年中青い葉を付けているからだという。真冬に積もった雪の下で葉を青々と茂らせる事が出来る、オンリーワンの木。
松山城の本丸の高さは、麓からの比高で90m。城郭分類でいうと平山城に分類される。ちなみに群馬県の岩櫃城は比高80mだが山城に分類されている。その違いは、城郭が麓から始まっていると平山城、山の上だけに城郭があるなら山城。江戸時代の城郭研究者が決めたルールとの事だ。
小天守(左)と大天守(右)。
鳶と月。
大天守から見る松山の街並み。
帰りすがら、売店でいよかんソフトを食べた。
2.湯築城址
形 態 | 平山城址 | 難易度 | ----- |
比 高 | 30m | 整備度 | ☆☆☆☆☆ |
蟲獣類 | 蛇 | 見応度 | ☆☆☆☆☆ |
指 定 | 国指定史跡、日本100名城 |
遺 構 | 曲輪、土塁、水堀 |
歴 史 | 伊予の守護・河野通直の城 |
駐車場 | 道後公園 – Google マップ |
住 所 | 愛媛県 松山市 道後公園 |
トイレ | 施設内にあり |
松山城から車で10分弱。伊予の守護・河野氏の本城「湯築城」。看板の後ろの旗にドラクエっぽい絵が描かれている。調べると、「ドラゴンクエストウォークコラボ」と題して、携帯ゲーム「ドラゴンクエストウォーク」と日本100名城のコラボ企画らしい。
飛鳥時代から続く名門・河野氏は、戦国末期の最後の当主・河野通直まで39代続いた。時間にすると、実に900年にも及ぶ。
湯築城周辺の河野氏家臣団の城址も、いつかは行ってみたい。
復元武家屋敷エリア。一乗谷朝倉氏遺跡に似ている。
現存する土塁「遮蔽土塁」。ここに来るまでに見た土塁、土塀、屋敷、水堀は全て復元されたもの。本物のほとんどは、保護のため地中に埋められているらしい。
ここから主郭部へ登る。比高は30m。
山頂部に到着。ここが本丸だと明記した看板はないが、主郭部であることは間違いない。その最も高い場所に展望台がある。展望台に登ると、雨が降ってきた。
展望台から松山城が見えた。
やはり天守はかっこいい。何百年も経ち、麓の町並みがどれほど変化しても、天守は同じ姿でここに立ち続けている。
3.大洲城
指 定 | 国の重要文化財、日本100名城 |
遺 構 | 櫓、石垣、堀 |
歴 史 | 伊予の守護・宇都宮豊綱の城。のちに藤堂高虎が改修し、脇坂安治(賤ヶ岳七本槍の1人)が入城した。 |
駐車場 | 大洲城 – Google マップ |
住 所 | 愛媛県 大洲市 大洲877-2 |
トイレ | 施設内にあり |
河と水堀で囲われた平山城・大洲城。松山から車で片道約1時間。
大洲城は、城の東から北へ流れる肱川と、その水を巧みに利用した水堀で守られた城。この縄張り図を見れば、城とは天守などの建物のみを指すのではなく、堀や塀や石垣といった防御設備を含めて城というのだということが良く分かる。
大州は、昔は大津と書いた。近江出身の脇坂安治が改名したとのことだが、近江の大津と字が同じなのが紛らわしいと思ったからなのだろうか?
中央にたたずむ大洲城の天守は、明治期の写真や江戸期の模型やその他史料をもとに木造で復元された。右は台所櫓(重文)、左は高欄櫓(重文)。どちらも幕末に再建された。
よく見ると、天守に入り口が無い。左右どちらかの櫓から入る造りになっている。
四国の現存天守4城より大洲城の方が大きいみたいだ。色々なお城を巡っていると「現存だからすごい」という風潮を感じるが、そんな事はないと思う。幕末に再建された櫓が重文で、平成に復元された天守は何も指定はないが、あと400年も経てば、大した差ではなくなっている事だろう。大事なのは「そのお城にどんな歴史があるか」だと思う。
安土城と豊臣大阪城の関係も大変興味深いが、冗漫になるのでここでは言及しないでおく。
江戸期に制作された天守木組雛形の10分の1縮尺模型。
築城の様子がジオラマになっている。人形たちは、パッと見は雑に作られている様に見えるが、よく見ると動きが実にリアルで、顔の表情にも一体一体個性がある。
木造復元天守なので、内部もお城の造りになっている。
天守から肱川を臨む。
天守から少し離れた場所にある三の丸南隅櫓(重文)。江戸中期に再建された。大洲城の中では最古の建造物。
道後と言えば温泉。再び松山へ戻り、温泉に入った。1日の終わりの温泉は、旅の疲れを癒やしてくれた。
「土佐×讃岐」編へつづく。
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