【北和の城ー大和路part1ー】大和の両雄・松永久秀と筒井順慶ゆかりの城々を巡る

大和郡山城の天守台 畿内近国
大和郡山城の天守台
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2022年2月5日(土)晴れのち曇り 時々雪[2/3]

3.大和郡山城址

形 態平城址難易度-----
比 高整備度☆☆☆☆☆
蟲獣類見応度☆☆☆☆-
指 定奈良県指定史跡、続日本100名城
遺 構曲輪、堀、石垣、[再建]櫓、門、橋
歴 史 大和の国主となった筒井順慶が天正8年(1580年)に築いた城。豊臣政権時は、豊臣秀長が入城した。
駐車場郡山城 追手門 – Google マップ
住 所奈良県 大和郡山市 城内町2-7
トイレ城内

3-①駐車場(追手門)

椿井城から大和郡山やまとこおりやま城まで、パンの買い食い込みで1時間ちょっと。直行なら45分くらい。

普段の駐車スペースは追手門の外のみだが、この日は盆梅展ぼんばいてんをやっており、門の中の曲輪も駐車可能となっていた。

追手門の東隅にある追手門東隅櫓(再建)。

追手門の向かいにある追手向櫓(再建)。

追手門(再建)。

追手門と多聞櫓と追手向櫓がコの字に並ぶことで、外枡形を形成している。

3-②法印曲輪&毘沙門曲輪

追手門から入り、車を停める。法印曲輪から本丸天守台が見える。

毘沙門曲輪にある柳沢文庫。文庫というだけあって本が沢山置いてある。

毘沙門曲輪と本丸をつなぐ極楽橋(再建)。2021年3月に一般公開された。

別アングル

3-③天守台

天守台の石垣は、修理のため一旦ばらして組み直している。石垣は元の位置に戻されているので、現存天守台と区分される。

西から見る天守台。

こっちの角もかっこいい。

天守台の周りを1周し、上へ登る。

天守台から見る法印曲輪と毘沙門曲輪。法印曲輪は盆梅展開催中。毘沙門曲輪は工事中。

大和郡山城はまだまだ変化しそうなので、見所が増えたらまた来ようと思う。

4.椿尾上城址

形 態山城址難易度★----
比 高410m整備度☆☆---
蟲獣類見応度☆☆☆--
駐車場 → 登城口 → 主郭部
高 さ-  /  100m
所要時間-  /  15分
指 定
遺 構曲輪、堀切、土塁、石垣、畝状竪堀
歴 史 永禄8年(1565年)から3年間続いた筒井城の戦いで松永久秀に敗れた筒井順慶が、その後拠点とした詰めの城。技巧的土塁で防御力を高めた「大和三大山城」のひとつ。
駐車場椿尾上城跡 – Google マップ(登城口に駐車スペースあり)
住 所奈良県 奈良市 中畑町
トイレ最寄りのコンビニ

4-①駐車スペース~

大和郡山城から40分弱、名阪国道R25五ヶ谷ICで降り、椿尾上つばおかみ城登城口まで舗装道が通っている。

椿尾上城登城口の看板あり。ただしこれが唯一の看板。

少し前に、山の管理者であろう軽トラが通り過ぎた。車輪跡はそれである。一般車輌が通っているわけではない。

道しるべの青リボンが上の道を示している。

腰曲輪(?)

竪土塁(?)

堀切(?)

遺構は沢山あるのだが、ちゃんとした縄張り図を入手出来なかったので、今、椿尾上城のどの辺りにいるのかほとんど分からず、手探りな状態。あとで分かったが、ここは二の丸群と西の丸群の間の帯曲輪(三の丸)らしい。(右手の丘が二の丸)

4-②本丸

本丸へ続く土橋

土橋の右側に、崩落防止と思われる石垣がある。

ここまで割と手入れがされているように感じたが、なぜか本丸だけ藪に覆われていた。

4-③二の丸

二の丸へ向かう。

二の丸に散乱する石。礎石か?

二の丸の腰曲輪

4-④西の丸

続いて西の丸群へ向かう。

西の丸の段曲輪

西の丸の主郭部に何かある。

小さな祠に、不動明王が祀られていた。

どの曲輪も、塁線がしっかり残っている。石積で補強された塁線もあった。

西の丸に見られる執拗な土塁は、筒井順慶が松永久秀との戦いの中で改修していったものだろうか? 西からの脅威が、西の丸を技巧的な防御力の高い山城へと発展させていったのかも知れない。

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