【北和の城ー大和路part1ー】大和の両雄・松永久秀と筒井順慶ゆかりの城々を巡る

大和郡山城の天守台 畿内近国
大和郡山城の天守台
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2022年2月5日(土)晴れのち曇り 時々雪[3/3]

5.多聞城址

指 定
遺 構土塁、空堀
歴 史 永禄2年(1559年)大和へ侵攻した松永久秀が、翌年、大和支配の拠点として大和北端部に築いた城。信貴山城も同時期に入城した。多聞城は政治的拠点として、信貴山城は軍事的拠点としての機能を持っていた。天正3年(1575年)大和の国主となった織田家の重臣・塙直政が多聞城に入城した。
駐車場タイムズ東大寺転害門西 – Google マップ(10台)
住 所奈良県 奈良市 西包永町4
トイレ最寄りのコンビニ

椿尾上城から30~40分、最寄りのタイムズに車を停め、徒歩で若草中学校を目指す。

若草中学校の門。多聞たもん城の大手門もこの辺りにあったと考えられる。

松永久秀の、三好政権での大和方面軍としての戦いは、永禄2年(1559年)から始まった。しかしわずか5年後の永禄7年(1664年)に三好長慶が没し、松永久秀の運命も大きく方向転換した。

門に「ご用の方は階段下のインタホンでお話下さい。」と掲示してあったので、脇の通用口から中へ入り、階段下のインタホンを押した。しかし全く想定外なことに、インタホンを押しても誰も出なかった。勝手に敷地内を見学して回るわけにもいかず、学校に電話もしてみたのだがそれも繋がらない。

城旅は、城址をただ歩き回るだけで人と関わることがほとんどなく、コロナ禍にあっても緊急事態宣言などで個人の移動制限がある場合を除き、問題ない趣味だと思う。それでも立入り拒否されたなら仕方がないと思って来たのだが、土曜日に学校が無人とは考えていなかった。

仕方がないので門の外からだけ写真を撮り、立ち去る事に。

比高30mの小高い丘に築かれ、四層の高矢倉を持つ平山城・多聞城。近世城郭の先駆けとなり、オリジナリティーあふれる長屋形式の櫓は「多聞櫓」と命名され、広く全国で使われるようになった。

多聞城も思いを残す城になったなと思いつつ、次へ進む。

6.鹿背山城址

形 態山城址難易度★----
比 高140m整備度☆☆☆☆☆
蟲獣類見応度☆☆☆☆☆
駐車場 → 登城口 → 主郭部
高 さ-  /  90m
所要時間7分  /  15分
指 定
遺 構曲輪、堀、土塁、井戸
歴 史 大和へ侵攻した松永久秀が、南山城にあり、大和平野を望む鹿背山城を改修して使用した。多聞城を守る役割を担っていた。
駐車場鹿背山城跡 – Google マップ(登城口付近は駐車禁止)
タイムズ木津駅前 – Google マップ
住 所京都府 木津川市 鹿背山 鹿曲田65
トイレ最寄りのコンビニ

木津駅前の南都銀行に併設される「タイムズ木津駅前」に車を停め、タクシーで5~10分、鹿背山かせやまの西念寺の手前で下車。多聞城から直接来ると20分くらいだが、多聞城 → 木津駅 → タクシーで来たので、30分ほどかかった。

荒々しい石碑に「左鹿背山かせやま城址」と書かれている。

石碑の左を上がった先に西念寺がある。

段曲輪の横に大手道を造って鞍部から左右の主郭部へ入る縄張りは、芥川山城と全く同じ。

6-①登城口~

西念寺の奥の登城口から登る。

大手道を歩く。

左手にも通路があり、段曲輪(主郭Ⅰの出丸群)を通るルートになっている。

案内版の縄張り図では、主郭群を「Ⅰ」、副郭群は主郭に近い方から「Ⅱ」「Ⅲ」、そしてそれぞれのサブの曲輪(二の丸三の丸)を「-2」「-3」というように表記している。

この竪堀は、主郭Ⅰ-4曲輪の下に位置する。

6-②主郭Ⅰ

大手道から左へ移動し、主郭Ⅰ-4曲輪に来た。

主郭Ⅰ-4曲輪の西側の土塁

その先は切岸になっていて、竪堀が多数掘られている。

北へ一段上がったところに主郭Ⅰ-3曲輪がある。

主郭Ⅰ-3曲輪から主郭Ⅰ-4曲輪を見る。木材を積んでいる場所にさきほどの西側土塁がある。

北へさらに一段上がったところに帯曲輪(主郭Ⅰ-2曲輪)がある。東隣の副郭ⅡとⅢへはここから行ける。

帯曲輪から左に上がると本丸(主郭Ⅰ-1曲輪)がある。

本丸の虎口

虎口を四角く囲う枡形虎口になっている。

本丸の中から枡形虎口を見る。

鹿背山城の本丸。写真には写っていないが、雪がちらついていた。

本丸東側の櫓台。副郭Ⅱと副郭Ⅲを見渡せる高さの櫓が組まれていたのではなかろうか。

本丸の西の端に、北の曲輪へ降りられる通路があった。

主郭Ⅰ-5曲輪

主郭Ⅰ-6曲輪

井戸跡

6-③副郭Ⅱ

水の手(井戸)から本丸の東側傾斜面を通って副郭Ⅱへ移動。

副郭Ⅱ-1曲輪

全ての曲輪に№が書かれている。私はWEB検索して見つけた縄張り図(登城口の案内版のものと同じ)をあらかじめ紙にアウトプットして携行していたので、それを見ながら今どこに居るのか確認しつつ、見たい順番で回った。鹿背山城の整備度は山城の中ではトップクラスと言って間違いないだろう。これで駐車場完備なら言うこと無しなのだが。

副郭Ⅱ-2副郭Ⅱ-3

6-④副郭Ⅲ

副郭Ⅱから副郭Ⅲへ

副郭Ⅲ-1曲輪

大和支配の拠点・多聞城の詰めの城なので、かなり大規模な縄張りだ。松永久秀の意気込みが感じられる。

<END>

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