畿内近国

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【近江:湖南の城】豊臣家のキーマン・豊臣秀次の近江八幡城を始め、滋賀南部の城々を巡る

豊臣家のキーマンだった秀吉の甥・豊臣秀次。彼の死により豊臣家は徐々に滅びの道をたどったと言っても過言ではないだろう。秀次の足跡が残る数少ない遺構である近江八幡城を始め、南近江の城々(長光寺城、星ヶ崎城、小堤城山城)を巡る。
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【湖南+洛東の城】近江と京都の国境の要衝・宇佐山城を始め、石山寺や銀閣寺など史跡を巡る

元亀2年(1571年)近江宇佐山城を引き継いだ明智光秀は、麓の坂本に新たな城を建てた。宣教師ルイス=フロイスの著書「日本史」によると、その坂本城は織田信長の安土城の次ぎに絢爛豪華な城だったという。近江と京都の国境の史跡と城々(石山寺、宇佐山城、勝軍山城、銀閣寺、中尾城)を巡る。
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【摂津の城】戦国下剋上の申し子・荒木村重の有岡城を始め、池田城や尼崎城など摂津西部の城々を歩く

戦国時代後期、彗星のごとく現れ摂津の国主となった荒木村重は、居城・有岡城に当時には珍しい総構を築いた。その南北に細長くいびつな形は琵琶湖を連想させ、その4つの城と砦は琵琶湖四城をオマージュしているかの様だ。有岡城を始め、摂津の城々(地黄城、池田城、富松城、尼崎城)歩く。
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【北但:豊岡の城】西国の守護大名・山名祐豊の有子山城を始め、但馬北部の城々を巡る

戦国初期に日本の6分の1を支配していたという山名氏。その宗家・山名祐豊は、居城・此隅山城を捨て、そこから南へ3㎞ほどの所にある山に有子山城を建てた。但馬北部の城々(鶴城、此隅山城、出石城、有子山城)を巡る。
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【神戸の城】松永久秀の生涯唯一の連歌が遺る滝山城を始め、摂津神戸の城々を巡る

『滝山千句』に残る、松永久秀の生涯唯一の連歌が歌われた滝山城をはじめ、摂津神戸の城々(淡河城、端谷城、兵庫城)を巡る。
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